AIの衝撃

7月 29th, 2010 feed-icons

仕事上、エキスパートシステムと呼ばれるバーチャルロボットを作ることがあります。

これは何かというと、エクセルなどのアプリケーションやブラウザの中だけで動作する実体を持たないロボットのことで、アプリケーション内やウェブ上などで単純作業なんかをやってくれたりします。

そんなものをつくって何が嬉しいのかというと、実は二つの大きなメリットがあります。その二つとは、単純に人件費が削減できるという点と、処理が速くなりヒューマンエラーも減少するという点です。たとえば、1日2時間をかけてアルバイトにやってもらっていた単純なデータ取得作業を、ボタン一つでロボットがやってくれるようになれば、一年間で
2時間×1000円×20営業日×12ヶ月=48万円
の人件費が浮くことになります。その上、ヒューマンエラーが減り、処理時間が5分に短縮できたりするわけで、これはもういいことづくめです。

良すぎる話にはウラがあるというのが常ですが、この場合バーチャルロボットを作るための言語習得・プログラムの記述に時間がかかるという点と、ロボットが動作している間はパソコンのメモリが食われるという点がデメリットになります。ちなみに、僕の実感としては、上述のアルバイトの作業を二時間短縮させるようなロボットをつくるには、大体20時間から30時間あればできるので、それで数百時間が浮くのであれば万々歳って感じですね。また、高性能なデスクトップPCを使っていればロボットが動作していようが、あまり関係なく作業も可能です。

バーチャルロボットによって、働くのが「人」から、パソコンという「モノ」に転換されます。そして、この動きは同時に「持たざる経営」へのシフトでもあります。多くの単純作業をいまだに手作業でやっている多くの企業にとって、このバーチャルロボットという存在が、頭を悩ます人件費の問題を解消してくれる救世主になりうるのではないかと、そんなことを考えたりする今日この頃です。

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小説とライトノベルは何が違うのか

7月 23rd, 2010 feed-icons

ライトノベルは割と読みやすいのでよく息抜きに読んだりしてます

が、文学作品と呼ばれるような小説とライトノベルは何が違うのかについては、けっこう議論があるみたいです。

たとえば、ライトノベルはファンタジーやSF、学園ものなどが多いので、コンテンツジャンルが異なるという指摘がありますが、ライトノベルにはミステリや戦記なんかのジャンルも手広くあるので、一概にジャンルという切り口で両者を区別するのは難しそうです。

じゃあ何が違うんだというと、個人的には「行間」だと思います。小説はレトリックなどの手法を多用して、あえて行間に余地をつくることで、文章としては書いていないことまで読み手に想像することが求められたりしますが、ライトノベルでは基本的に字を追っていけば読み手によって解釈が異なることはあまりありません。ライトノベルの主人公に説明口調が多いのも、あまり行間に意味を含ませ過ぎないようにするためではないかと思います。

読み手が想像力をフルに発揮しなくても、何気なく手に取って気軽に読める小説、それがライトノベルかなという感じですかね。まあ、あれこれ考えなくても、ライトノベル=気軽に楽しめるもの、っていう認識が一番的を射ているかも知れません。

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2005年の新語紹介

7月 13th, 2010 feed-icons

昔、収集してた新語を紹介してみます。5年前なのに新語とは、これいかに? でも、今見てみても新鮮な言葉があったりするのはちょっと驚き。引用元は、たしかYahooの新語紹介だったと思います。

「コーポレート・レピュテーション」
アメリカの経営学者チャールズ・J・フォンブランとセス・B・M・ファン・リールの共著『Fame&Fortune』の邦題。「レピュテーション」は「評判・名声」を意味する。企業はバランスシート上に載る工場や土地などの有形資産のほかに、「目に見えない」無形資産をもっている。無形資産は一般的に、知的資本とブランドとで構成されるといわれる。フォンブランとファン・リールは、無形資産から知的資本を除いた部分を「レピュテーション資本」と定義し、それを「ブランド資本」と「ステークホルダー(利害関係者)との関係性」に分解。さらに広範囲なアンケート調査を基にレピュテーション資本を指数化し、これを「レピュテーション指数」と名づけている。レピュテーション資本の増大のためには、ブランドの魅力を高めることはもちろん、職場環境を改善したり、企業の社会的責任(CSR)に取り組んだりすることでステークホルダーとの関係を向上させることが欠かせない。

「逆インセンティブ契約」
プロ野球の球団経営に乗り出した福岡ソフトバンクホークスが、2005年冬の契約更改に導入すると発表している契約条件。これまでは、年俸以外に各選手に課題を設けて、たとえば10勝はするだろうという投手なら11勝目から100万円のボーナスをつける、打率2割8分は確実という野手なら3割を超えたら500万円のボーナスをつけるという約束を、契約時に交わすことが多かった。これをインセンティブ契約というが、それではチームの戦力のアップにはつながらないとの考えから、逆に課されたノルマをそれぞれの選手が達成できなかった場合に減棒を行う方式。選手それぞれに責任を課して、それを果たさせることによって、より強力なチームづくりを行おうというものである。

「キャラリング」
キャラはキャラクターの略で、「性格」や「人格」を意味する。このキャラを、場面に応じて使い分けることがキャラリングである。まるで二重人格、三重人格のようだが、実は人間は無意識のうちにそれぞれの相手に応じて、「部下」「上司」「夫」「父親」など、自分の社会的性格の使い分けを行っているもので、その度合いが強いか弱いかの程度の差にすぎない。ある調査によると、10代男性が好感をもつ同性の条件の1位は「人に配慮ができる人」で、嫌いな同性の1位が「場の空気が読めない人」である。その場に応じて性格を使い分ける技術が、仲間うちでも要求されているのである。


「発光ダイオード型新入社員」

毎年、時代の雰囲気と新入社員の特徴を取り上げてネーミングを行っている財団法人社会経済生産性本部(1973~2002年までは現代コミュニケーションセンター所長・坂川山輝夫が命名)による、05年の新入社員に対する命名。発光ダイオードは熱を出さずに光ることに特徴があり、05年の新入社員ときわめて類似点が多い。つまり、電流を通すようにしっかりと指導を行えば、そこそこの結果を出すが、愛社精神が薄いために決して熱くならずに冷めているのである。厳しい就職戦線を勝ち抜いてきたこともあって、実力主義志向が強く、自分のキャリアや市場価値を高めようとの意識が旺盛。また起業意識も強く、組織はあくまでも踏み台で、機会さえあればそこからジャンプしようとしており、会社への帰属意識は薄い。こうした新入社員を迎える上司や先輩は、ときには組織のために熱くなることの素晴らしさを訴えて指導する必要があるだろう。


「第5の権力」

アメリカで「シンク・タンク」をさす。アメリカでは大統領選挙、上院・下院議員選挙、州知事選挙などにおいて、それぞれの候補者の背後にシンク・タンクがついていることがほとんどである。候補者の政策をつくりあげ、財源の裏付けや方法論までも開示し、その選挙活動をリードしていく。候補者それぞれにシンク・タンクがついているので、より激しい政策論争が行われる。現職の大統領や長官、議員はシンク・タンクの研究に密接にかかわっていることが多い。さらに政治家OBは大手シンク・タンクの理事、研究員になって「政策生産」に貢献している。日本でもマニフェスト(政権公約)を選挙の際にそれぞれの政党や議員候補者、知事候補者などが発表するようになり、これからシンク・タンクの活動が期待されるようになった。横江公美が著書『第5の権力』で紹介して、話題となっている。


「反日幼稚病」

2005年4月9日に起こった、北京での1万人を超える大規模な反日デモや、日本製品に対する不買運動や日系店舗襲撃事件などを、香港の新聞『明報』紙上で時事評論家の呉志森が評したことば。反日デモは日本の国連安保理常任理事国入りの動きや教科書検定問題、さらには東シナ海における資源問題などに関して、日本への反発として始まったとされている。作家・村上龍が主宰するメールマガジン『JMM』に寄せられた、香港在住のフリーランスライター・ふるまいよしこの報告によると、デモに参加しているのは「白嶺」とよばれる20~30代のホワイトカラーたち。大学や大学院を卒業して大企業で高給を稼ぐ「ヤング・エグゼクティブ」で、『ニューヨーク・タイムズ』などが報じたように「収入格差を訴えるため」にデモに参加したのではない。彼らは日本製品を多数所有する、富裕層なのである。街に出て「愛国無罪」をさけんで日本製品の広告を破り、日本食レストランの窓ガラスを割って、「愛国活動をした」といいながら、家では日本製品に囲まれて暮らしている。自分で買った日本製品はだいじにしたいが、他人のものは壊しても平気なのだとしたら、「幼稚病」といわれてもしかたないかもしれない。このようなむやみに感情を爆発させる行為は、ただ自国民を巻き添えにするばかりか、中国に同情する日本の友人の感情をも傷つけることになる、と呉は警告を発している。

「人時生産性」
従業員1人が1時間に稼ぐ粗利益を示す。「粗利益÷のべ労働時間(従業員数×労働時間)」の数式で求められる。一般的な食品スーパーの場合、5000円程度とされている。粗利益に占める人件費の割合である労働分配率は50%程度とされているから、時間当たりの人件費は2500円以下でなければならないことになる。客足は店の側の都合で調整できるものではなく、あくまでも客の都合によるものだから、店舗側は繁閑を見越した適正な人員配置が必要とされる。レジに組み込まれたPOSシステムを分析することによって、曜日や時間帯など刻々と変化する収益機会をいかにうまくつかみ、それに応じた人員配置を行わなくてはならない。人時生産性を高めるには人件費の削減が必須で、そのために時給の安いパートやアルバイトが活用される。

「うち」
女子高生たちの間では「自分自身」を示すことばとして、1990年代から使われている。国立国語研究所の「学校内敬語調査」によると、東京の女子中高生2200人のうち、同性の友人に対しては中学生8.5%、高校生5%が使うと答えている。しかし、担任教師など目上の人に対してはいずれも1%未満。もともと関西地方で使われていたが、関西出身の芸能人たちがテレビのバラエティ番組などで使っているうちに、関東地方でも使われるようになった。複数形は「うちら」。同研究所・研究員の尾崎喜光によると、最近、関東地方で使われている「うち」は、「わたし」では改まりすぎて堅苦しい場合に使うなど、90年当時とはすこしニュアンスが変わっている可能性があるという。同時期に幼稚園の女児たちも「うち」を使い始めている。こちらはテレビアニメ『おジャ魔女どれみ』が由来。主人公・どれみといっしょに魔女修業中のあいこが「うちなぁ……」と会話を始めるのは、本音を切り出すときである。だから幼稚園生の女児が「うち」と親や祖父母などに対して使うときには、その後の発言に彼女の本音がくると考えて耳を傾けるべきだろう、と専門家はアドバイスしている。

「3I」
景気の持続的な成長の鍵となる個人消費のキーワードの頭文字で、『日本経済新聞』の造語。一つ目は「Innovation(革新)」。独自の機構の開発で吸引力が落ちないイギリスのメーカー・ダイソンの電気掃除機や、DVDプレーヤー、液晶やプラズマの薄型テレビのように、技術革新のあるものには消費者は興味を寄せる。二つ目は「I(私)」。自分自身へのいやしや能力開発。新宿三越アルコットの眉トリートメントサロン「アナスタシア」は、ひとりひとりの頭の骨格にあわせて眉を整えるということが評判をよんで、ほぼ1日で1か月分の予約が埋まってしまうという。三つ目は「Income(収入)」。雇用者報酬(名目)は2004年10~12月期に前年度比0.7%増と6四半期ぶりに増加している。

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ギャンブルと勝率と数学

7月 13th, 2010 feed-icons

宝くじ、パチンコ、株式などの雑誌では「必勝」を主張するものが多いけど、だったら出版なんかしてないで自分たちで実践してりゃいいじゃんと昔はよく 思ってました。風水も「この方角が良い」とかいうけど、じゃあ世界中の人がみんなそっちを向いたらみんな幸福かよみたいなパラドクスとか気になります。まあ、株式に限っては、雑誌を見た人が推薦の会社を買いにかかったりするので、あながち間違いでも無いんですが、宝くじやパチンコに限ってはかなり事実無根なところがあるわけです。

というわけで、今回はなぜか突発的に数学の話をしてみたいと思います。と りあげる課題は「勝率がpのギャンブルを1/p回やった時の勝率は?」です。簡単に言えば、勝率が1/10の時に10回挑戦したらどれくらい当た るのかです。というわけで、まずは、具体例。

1.p=1/10の場合

n   勝率p(n)
1  0.10000
2  0.19000
3  0.27100
4  0.34390
5  0.40951
6   0.46856
7  0.52170
8  0.56953
9  0.61258
10  0.65132
15  0.79411
20  0.87842
40  0.98522
60  0.99820
80  0.99978
100  0.99997

つまり、10本に1本当たりが含まれているゲームを10回やったところで65.1%しか当 たらないってことですね。10倍の100回やったところで初めてほぼ100%で当たる事になります。

次に、これを一般化します。

n=1/p のときp(n)は、

p(n)=1-(1-p))n乗=1-(1-1/n)n乗
で、ここで
q(n)=(1-1/n))n乗=((n-1)/n)n乗
とおき、n=N+1とすると、
limn∞q(n)=limn∞((n-1)/n)n乗
=limN∞(N/(N+1))N+1乗
=limN∞((N/(N+1))N乗×(N/(N+1)))
=limN∞((1+1/N)-N乗×(N/(N+1)))
=1/e×1
=1/e

∴limn∞p(n)=1-1/e=0.6321
(なお、eは自然対数の底で、e=2.718281828…)

つ まり、勝率がpのギャンブルを1/p回やった時の勝率は、63.2%。すなわち、10000円をそのゲームに賭けたら、その期待値は6320円になるということです。

ちなみに、一昔前の数年前のデータですが、サマージャンボ宝くじ:発売額300円の賞金総額は1ユニット (発売枚数1千万枚、発売総額30億円)中:100000~199999を1組とした計100組で、1,409,900,000円(賞金 金額=投入金額の約47%)
二等の一億円が当たる確率ですら1000万分の1ですから、10本ずつ宝くじを100万回買ってようやく、 63.2%の確率で当たるかもしれないという事ですね。

…夢がないって?

どうもすみません(>_<)

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考察について

7月 13th, 2010 feed-icons

今回は、考察をする上で役立つ考え方を二つほど紹介します。一つは、H.A.サイモンの「満足化原理」、一つは、K.マンハイムの「知識の存在被拘束性」です。

満足化原理」は、経営学の意思決定論の基盤として語られます。現実の人間(ここではモデル化された人間との対比)は経済人モデルで想定されているように客観的な合理性を発揮することは不可能であり、その認知能力の限界から「制約された合理性」あるいは主観的な合理性しか獲得することができない―。これがサイモンの想定する経営人モデルです。そのため、実際の意思決定は、もっと優れた代替案を追及する最適化原理ではなく、ある一定の目的水準を満たしていれば、その代替案を選択するという「満足化原理」に基づいて行われます。日常的な場面を想起してみれば、我々がこの原理にどれだけとらわれているかが分かます。

存在被拘束性」とは、マンハイムが知識社会学という自らの社会学のアプローチを裏付けるために提唱した概念であり、人間が持つあらゆる知識は、その人間の視座がおかれている歴史的社会的条件との関連から分析される必要があるとするものです。つまり、我々は生まれ育った社会・環境や、今まで得た知識もしくはその関連からしか物事を考えられていないという指摘です。

知識の拘束性を意識しつつ、「満足」のその先を求めていくスタンスを保ち続けることがどれだけ難しいことかは、想像に難くはありません。例えば、何か出来事が起き、その出来事が社会のなかでどう位置づけられるのかということを「より正確に」考えたいとします。その際、自分が現在有している知識の拘束性を緩めるためには、まず多くの知識を取り入れ、知識を相対的・批判的に評価する必要があります。

つまり、社会のなかでどう位置づけられるのかという際には「社会」とは何かということについて、徹底的にあらゆる定義を洗ってみる必要があるということです。そうして得られた見解は、満足化原理に従ったものであって、すべての可能性を網羅したわけではないかもしれません。今度はそれについて検証する必要が生じます。以下を細部にわたり繰り広げます。知識を広げ、全てを疑い、可能性を模索する。「考察」って、実はとても大変な作業ですよね。

※【考察】物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。

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ロバストネスについて

7月 7th, 2010 feed-icons

ロバストネスという概念は、幅広い撹乱に対して対応できる能力のことですが、生きていく上ではこのロバストネスをいかに向上させるかということが重要になります。

たとえば、ある日会社がつぶれてしまった(環境が大きく変化した)としてても、仕事をすぐに見つけて生活を維持できる(環境に対応できる能力)ということは、生きていく上では非常に大切です。

これは、生命に限らず、組織やシステムにも当てはまるため、組織を経営する人やシステムを設計する人にとっても、ロバストネスについて理解を深めることは大いに意義があることだと思います。

さて、肝心のロバストネスを向上させる方法ですが、これにはシステム制御、耐故障性、モジュール化、デカップリング、の4つがあります。この4つについて、順々に説明していきましょう。

システム制御には、理想状態と実際の結果を修正するネガティブフィードバックと、事前にシグナルを感知することで制御を行うフィードフォワード、小さなシグナルを増幅して問題に対応するポジティブフィードバックの3つの手法があります。基本的にはネガティブフィードバックを行いつつ、可能な限りフィードフォワードで対処し、特定局面においてポジティブフィードバックを用いるという感じです。

耐故障性には、システムの一部が故障しても動作を続けることを目指すフォルトトレラントの考えから、冗長性と多様性が求められます。冗長性とは余剰があることを指し、多様性とは幅広く性質の異なるものが存在することを指します。たとえば、壊れても替えの同じ部品があるというのが冗長性、同じ機能を3つの異なるやり方で実現するのが多様性です。

モジュール化は、システムを代替可能に細かく分割することを指しますが、これにより部分の故障が全体に影響を及ぼさないようにすることができます。モジュールデザインをしっかりと行っておくことで、後々にオプションを創造することができます。

デカップリングは、低レベルのノイズや変動をシステムの機能から分離させることで、その時々の微細な環境の変化や条件の違いによって生じる多少の変動や細かい違いをならしましょう、ということです。

これら4つをその場に応じて、あるいは全てを駆使して、システム・組織を設計することでロバストネスを向上させることができます。ただ、気に掛けなければいけない点として、「強くなればなるほど弱点が生じる」というロバストネス・トレードオフが存在するということがあります。

ある環境に対してロバストネスを向上させるということは、別の環境下においてはフラジャリティを生じることになります。たとえば、デジタル化を推し進めればとても効率化が図れますが、電気の供給がストップしたときには全くシステムが動作しない、といったように環境や条件が変化するとロバストネスだったはずのものがフラジャリティに変わってしまいます。また、ロバストネスはフラジャリティだけでなく、パフォーマンスリソースとも競合します。

限られたリソースを用いてパフォーマンスの最大化を目指しながら、フラジャリティへの対処を常に念頭に置いてロバストネスをいかに向上させていくか、これがシステムデザインをする上で重要な点になります。

※ロバストネスについてもっと知りたい方は、「したたかな生命」というタイトルの本に、ここに書いてあることが詳述されていますので、ぜひ一度手に取って参照してみてください。お勧めの本です。

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ソーシャルキャピタルとは

6月 27th, 2010 feed-icons

ソーシャルキャピタル(社会資本)という概念があります。お金や固定資産など一般的な資本(すぐに換金可能)と何が違うのかというと、ソーシャルキャピタルという考えでは社会とのつながりが資本として換算されている点にあります。

たとえば、知り合いや友人がとても多い、多くのコミュニティに属して精力的に活動を展開している、などといった人はソーシャルキャピタルが充実していることになります。また、「お金はないけどとても幸せ」っていうような人も、ソーシャルキャピタルが充実している人である可能は高いですね。

ソーシャルキャピタルが充実していると、何かをやろうとした時に色々な人が色々な形で協力してくれるため、コストがとても低く抑えられたり、チャンスが増えたりします。たとえば、経営の話でいうと、私が会社を始めた際、大学時代の友人や後輩が色々と手助けをしてくれて、「最初のうちは大変だろうから」「自分の勉強にもなる」とバイトやインターンとして破格の時給で手伝ってくれたり、あるいは先輩や恩師の方々はありがたいことに仕事を紹介してくださったり、オフィスを間借りさせていただいたり、机やいすなどの備品まで譲っていただいたりと、色々な方から本当に様々な融通をいただきました。

普通にゼロからのスタートであれば、バイトを採用するための求人広告費用や同業他社以上の時給用意、オフィス代(敷金・礼金で数百万、共益費もバカにならない)、消耗品の調達(高額なものだとノートパソコンなど)、営業コスト(テレアポ、電話リスト、人件費)などもろもろ含めて、必要な費用や得られる利益に1年間でに500万円から、多ければ1000万円くらいの違いが出てくると思います。これは会社の立ち上げの際には、本当に大きなインパクトがあります。

ここで話を具体例からソーシャルキャピタルとは何かということに話を戻すと、ソーシャルキャピタルとは「一緒にコラボレーションをしたという物語の総量」と言い換えることができます。大事なのは、一緒に何かに取り組んだという事実と、それを物語(ストーリー)としてお互いに共有できているかということです。自分が誰かと一緒に何かに取り組み、それをお互い大切な記憶として共有できていればそこにはソーシャルキャピタルが存在しているというわけです。

ソーシャルキャピタルはあまり意識されることのない概念ですが、何かを手がけようとするときには、自分のソーシャルキャピタルをもう一度見返してみると、やりたいことの成功確率を上げられたり、取り組みの結果が大きなものとなったりする可能性と巡り合えることがあります。

ちなみに、企業のソーシャルキャピタルを算出して、実質的な資本に換算してみたりするような試みも面白いかもしれませんね。

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経営について(事業目的とは何か?)

6月 13th, 2010 feed-icons

今日は経営について書いてみます。とある契機から経営という仕事に携わること数年、少しは経営について語る言葉も積み重なってきたかなということで、少しまとめてみたいと思います。まずは辞書の意味。

事業目的を達成するために、継続的・計画的に意思決定を行って実行に移し、事業を管理・遂行すること。また、そのための組織体。

要点は3つです。

  1. 事業目的とは何か?
  2. 適切な意思決定とは?
  3. ベストな事業管理・遂行方法は?

最初の「事業目的」というのが、個人的に一番重要だと考えています。何のために会社はあるのか、誰のために何をするのか、その結果どうなりたいのか? これがないと、会社は始まりません。(なくても実は始められますが、長続きはしない可能性が高いでしょう)今回は、この「事業目的」というものに焦点を絞って話を進めていきたいと思います。

株式会社は、名目上「株主」のものです。「株主」が投資対象として魅力的な事業を選出し、信頼できる「経営者」に資本を預けて事業の遂行を代行させる。だから、普通に考えれば、事業によって利益を生み出し「株主」に配当を還元することが、会社の経営の目的に据えられることになります。しかし、日本では会社は株主のものであると同時に、従業員のものであるという意識も根強く残っています。これが欧米との違いとも言われているわけですが、日本企業の外国人経営者なんかは割とドライに利益の追求の姿勢を貫いて、ハードマネジメントなどと評されることがありますよね。

さてそんなわけで、私たちは日本で働いているわけですので、きちんと社内にも目を転じてみましょう。会社というのは、結構大変な場所です。繁忙期にはプライベートの時間を削っても仕事をしなければいけないタイミングが存在します。いわゆる残業というやつです。本当は残業0が望ましいわけですが(そしてそれを未然に防げない経営者の力量が問われてしまうわけですが)、よくしてもらっている顧客の都合やトラブルが発生してしまった時など、どうしても避けられない瞬間も存在します。そういった残業に、文句も漏らさず社内で頑張ってくれている従業員には、本当に頭が上がらず感謝の気持ちでいっぱいです。そして、頑張ってくれている「従業員」には報いたいという気持ちが生じます。だから、彼らが結婚したり、子供を授かったりすると、それはもう自分のことのように嬉しい。彼らの幸せを願ってやみませんし、彼らの幸せを保障してくれる賃金を払いだしてあげたいという気になってきます。

しかし、その利益の源泉を供給してくれているのが「顧客」なわけです。良い仕事をして、「顧客」の皆さんに喜んでいただくことで、利益が生まれ、そこで初めて株主への配当や従業員の給与を支払いだすことができるようになります。そういった意味で、「顧客」がいなければそもそも事業は成り立たないわけですから、「お客様は神様です」などと考える経営者が出てきても不思議ではありませんよね。

とまあ、経営を考える上での主要な登場人物とその相関関係なんかが見えてきたわけですが、さあ、ここからが経営で頭を悩ますところです。会社は株主のもの。株主の投資を受けて、投資に見合う利益を還元することが会社の目的。しかし、利益を生み出すには「顧客」を満足させねばなりません。「顧客」に満足してもらえるような良い仕事をするには、「従業員」に最高のパフォーマンスで働いてもらう必要があるし、それ以前に同じ職場で同じ仕事に携わる仲間として、「従業員」の幸せなくして会社の成功は語れないのではないか?そう考えると、会社が手がける事業は、誰のために、何のために遂行されるべきなのでしょうか?

会社の所有者である株主の利益を最も尊重するべきだという欧米で主流の考え方もあれば、利益の源泉たる「顧客」の利益こそを最優先で考えて行動するべきだとする「顧客第一主義」、あるいは働く人が幸せになれなければ会社をやる意味なんてないじゃないかという「従業員満足優先主義」の経営スタイルも存在します。

ここで、「利益」という言葉に注目してみると、利益があれば株主に配当を還元できますし、利益があれば事業に再投資して今よりさらに「顧客」に満足してもらえてその分利益も増大する、利益があれば働く環境や条件を整備できるので、従業員に最高のパフォーマンスで仕事をしてもらえるし、従業員の幸せを実現できる。つまり、利益が最大化されるように選択肢を選びとっていけば、矛盾なく誰もかれもを満足させられるような気がしてきます。

が、ここで生じる問題は「誰の利益をいつ最大化するのか」ということです。たとえば株主の利益であれば3年後、10年後、30年後の3つの時点でそれぞれ最大化してみることを考えると、配当の方法が違ってきます。極端な話、投資によって利益拡大が確実に見込めるのであれば、利益を最大化したい前年まで全ての利益を投資につぎ込み、最終年に全ての利益を配当として還元するのでそれぞれ利益を最大化できます。しかし、これは短期投資なのか、中期投資なのか、長期投資なのかという株主の投資スタイルによって、どれが一番良いかが異なります。株主が複数にわたる場合には、さらに利害調整が必要となります。

従業員のケースでも「利益の最大化」を考えてみると、これもまた難しい。ライフステージによって働き方や生きがい・やりがいなんかも変わってきますし、本人のほうで何歳までに自分はどうなっていたいか(キャリアや仕事内容、資産額、生活や家庭など。そして、その中でどれが最もプライオリティが高いのか)ということが把握できていないと、経営者も従業員の利益を最大化しようがありません。しかし、人間は完璧に合理的にはなりきれないため、どうしても曖昧な部分が残ってしまうのです。

ここまで書くともうお分かりかもしれませんが、何のために事業を、仕事をやるのか?この事業目的というのは、実は「幸せとは何か」という問いに直結しているのです。そして、幸せというのは価値観によるところが大きいため、どうしても個々人で差が出てきてしまうものなのです。さらに言えば、一人の人生の中でも価値観は変化していくことがありますので、たとえある時点で全員が一緒の価値観を抱いていたとしても、時がたち、各々が人生経験を積むにあたって、価値観はそれぞれ変わっていってしまうことが多いのです。「利益を最大化する」という言葉を「幸せを最大化する」と言い換えてみたとき、経営というものの難しさと大切さがご理解いただけるのではないかと思います。

さて、記事の最後に、経営がうまくいった際の理想の状態の一つを描いてみます。

長期投資スタイルの株主が安定的に株式を保有した上で経営者に全幅の信頼をおくことができていて、「顧客」はその会社の熱狂的ファンであり続け、ときにはその会社や製品がもっと良くなることを期待して意見やアドバイスを発信し、中で働く従業員はそれぞれ自分の幸せを考えて知っており、会社の成長と自身の幸せな将来像とが重なりあっているという確信を抱いて信頼できる仲間・大切な顧客・愛する家族のために働くことができている

とまあ、こんなところでしょうか。このような状態を達成するために、どうやって現状を変化させていくかを考えるのが「経営」という仕事なんじゃないかと思う今日この頃です。

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個性とは?

6月 13th, 2010 feed-icons

少しだけませた子供時代だったので、人より少しだけ早くから「個性」というものを考えていたように思います。

「個性」の辞書的な意味は

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。

まあ、具体的に何かっていうと、よく分かりませんね。

一方で、「普通」という言葉もあります。

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

「個性」と「普通」。

高校生までは、自分が「個性的」だろうが「普通」だろうが、ぶっちゃけ大した障害はありません。というより、ある程度「普通」であることが求められます。あまりに「個性的」だと逸脱してしまいますからね。でも、大学生になって就職活動なんかをしてみれば、こんな要求をされることがあるでしょう。

「あなたを自己紹介して下さい」
「自己PRをお願いします」

この時、多くの人が初めて、あなたの個性は何ですか、と面と向かって聞かれるわけです。

そして大抵、困ります(笑)

自分は他の人と比べて何が違うのか、何が優れ、何が劣り、何が特徴的なのか。あなたという人間を見定めたい面接官に対して、自分は「普通」ではなく「個性的」で、自分という人間はこんなに面白く、可能性があり、採用するとこんなにいいことがあると主張しなければなりません。

ですが、それが難しい。なぜなら「個性」というのは、他になかなかないから「個性」なのです。その人を決定的に特徴づけるものなのです。そんなものが果たしてあるのか―。

たとえば、僕の例を挙げてみましょう。

大学入学後、理系から教育学部へ文転、在学中にシンポジウムや高校生進路相談会、就活セミナーなど何回かイベントを企画、卒業論文は「キャリア教育について」、趣味は読書、特技は暗算。

そうして、履歴書やエントリーシートの記入内容を埋めていくと、思うわけです。

なんて普通なんだろう」と。

今になって思えば、個性というのは、そんな履歴書やエントリーシートの記入内容を埋めてみても分かるわけないのです。

「個性」とは、「何と出会い、何を感じ、何をしてきたか」の積み重ねだと思っています。趣味や特技自体が個性なのではなく(まあ、めちゃくちゃ目を惹くものならば個性を感じてもらえるとは思いますが)、あるものが趣味になったり特技になったりするその過程にこそ、個性があるのだと思います。この場合、大事なのは結果ではなく、そこに至るまでの文脈であり、ストーリーです。(結果はあくまで表面的なものと、とらえておくのが無難でしょう。)

たとえば、

今の家に生まれてきて、自分の親、兄弟姉妹、祖父母に出会い、彼らを愛おしく思ったり、うっとうしく思ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、感謝したり。物心がつく頃には近所の子供に出会い、遊び、楽しんだり、怒ったり、泣いてみたり。学校に通うころには、先生と出会い、学び、相談し、尊敬したり、親しんだり、嫌いな先生の悪口やいたずらしたりすることもあるかもしれません。

好きな音楽アーティストに出会い、感動し、彼らのようになりたいと格好や仕草をまねてみたり、とんでもなく面白い物語に出会って、登場人物たちのようになりたいと心から願っていろいろ想像してみたり。あるいは、突然の不幸に見舞われて、最初のうちは泣きくれていたけれど、立ち上がって前向きに生きようと心に決めてみたり。

おそらく、そうした出会いや思い、行動が全て個性となるのです。

出会った中ですごいと思えた人がいたとして、その人を知って何をしてきたのか。人生のなかで衝撃的だった事、それを経験して何を行動し、その結果どうなったのか。それらを積み重ねていくと、他の誰にも真似できない「個性」となっているはずです。

自分が経験してきたことなんか大した事なんかない、むしろ失敗ばっかりの人生な気がして恥ずかしいと思っちゃったりもしますが、むしろ失敗があるくらいのほうが、人間味ってやつがあって、聞いてる方も面白いんですよね、意外と。

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美について

6月 12th, 2010 feed-icons

学生時代から延々と考えてきて、

よく分からなかった概念のひとつに「美」というものがあります。

「美しい景色」「美しい人」「美しい心」

「美術」「美学」「美意識」

「真善美」「造形美」「自然美」

言葉としては一度は見たり聞いたりしたことがあるものの、

深くそれを調べたり考えたりしたことはほとんどありませんでした。

当然、「美術作品」と呼ばれるものも、なんだかよく分かりませんでした。

名画や名作と呼ばれる作品を見ても「良く分からないなあ」と思うことばかりで、

美術館の中をぶらぶらと暇そうに歩いていた日々が思い起こされます。

ですが、最近、美術作品を「見る」ことができるようになってきた気がしています。

素直な目で「美術作品」を眺めてみて、まずはその第一印象を掘り下げ、

細部を徹底的に観察し、背景を読み、作者に思いを馳せ、自分の心の動きとも向き合う。

そうすることで、一つの「美術作品」から発見があり、出会いがあり、

新たな感動があり、時には涙し、それを経るなかで自分の価値観が刷新されたり、

積み上がったりしていくのです。

自分が「美しい」と思えるその領域が広がれば広がるほど、

世界の「美しさ」が増えていくような気がする。

世界に「美しい」と感じられることがどれだけあるかというのが、

「心の豊かさ」というものに実は関わっているのかなあなどと最近は考えています。

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